2024/09/18 08:00
先日20日に父が亡くなりました。2021年に膿胸になってから4年間、衰弱していくさまを在宅介護でまざまざと見てきました。そして最後は自宅のベッドで呼吸困難となり、救急車も間に合わず苦しみながら亡くなりました。
考え得る中で最悪の死に方だったと思います。
救急外来には二種類あります。消防救急車で救急搬送される方法と、民間救急車でゆっくり受診する方法です。後者の存在を父に教えていれば、容態悪化を待たずに病院に行ってくれたかもしれません。
私は不安障害があり、さまざまな不安にいつも苛まれています。二十歳の頃、漠然とした楽観とともにジェンダー外来を受診し「発達障害」と診断されて以来、私は「この世に幸運は無いのだ」と痛感し、そこから不安障害は始まりました。また、幼少期に祖母が亡くなり、自宅に安置された遺体を見てショックを受けた記憶も鮮明に残り続けています。そして今回、何の罪もない父がもがみ苦しみながら死んでいくさまを見て、改めて「この世に希望と言うものは存在しないのだ」と実感しました。
私は2013年頃よりずっと動悸・息切れ・倦怠・血糖調節障害などの体調不良に悩まされており、ずっと療養をしてきました。「いつか就労できるようになるだろう」と言う漠然とした希望を持っていましたが、今回の件で、それは不可能だと思うようになりました。すでに10年の療養生活で、階段を上るのもつらく、父と同じ道を辿っている気がしてなりません。就労のことは忘れて、これからはどのように死ぬか、どうすれば苦痛を回避できるかだけ考えていこうと思いました。施設入居も延命治療も望まず自宅で死期に潔く死んだ父を私は最後まで尊敬します。私も父に倣いたいと思っています。
私は父の介護の手伝いをしていたつもりですが、邪魔になるようなことばかりしていたような気がします。発達障害特性を改善できるように努力しろと言う人がいますが、良かれと思うことが邪魔になるのに、一体どのように改善しろと言うのでしょうか。父も、最期まで私に失望していたに違いありません。
父は小さな価値観に拘る人でした。それ以外を認めないところがあり、母に頼れなかった私は父の教えに逆らわないよう一生懸命父の真似をして父に認められようとしました。それは今でも私の心にこびりついて、ストレスに出会うと父の価値観に依存しようとします。ですから、父に失望されていたという事実はむしろ私の心を少し軽いものにするかもしれません。父はとっくに子離れしていたのですから、私も親離れをしなくてはいけません。