2025/05/22 14:43

 父の遺品から祖父・小村剛史の原稿が出てきました。
 古いものなので、捨てようかとも悩みましたが、祖父の苦労を思うと捨てられません。

 祖父は息子(父)の心臓病(心室中核欠損)の手術をさせるために東京に土地を買い、青森の小学校を経営し、退職後は家が燃えたりお金を騙し取られたり妻(祖母)を胃癌で亡くしたり息子(父)が離婚したり孫(腹違いの兄)の養育費を払い続けたりとたくさんの苦労をしながらも執筆活動を続けていました。
 私が生まれたときからずっと変わらず「おじいちゃん」として生きていて、青森の訛りが強くてあまり会話する事もできず、祖父は寂しい思いや辛い思いをしていたのではないかとずっと考えています。
 99歳まで誰の世話にもならずに二世帯住宅の一階で一人で暮らしていました。子供の頃はそれが当たり前だとばかり思っていましたが、それがいかに大変な事だったか今は分かります。どんな本を書いているのかすら知らなかったくらい、祖父と私(両親)は交流がありませんでした。もしかしたら、二番目の嫁(母)のあまりの素行の悪さに閉口してしまっていたのかもしれません。

 私が京都の大学にいる時に101歳で亡くなるまで、私は結局祖父に何も返すことができなかったなと悔やんでいます。それでも祖父は何も望まず、ただ毎日を過ごしていました。人間と言うよりは、ロボットのような人だったように感じます。そうさせたのは私や父のせいなのでしょうか。私が生まれた時、祖父はもう79歳だったので、人生に何も期待しなくなっていたのでしょうか。むしろ私を「孫」のように可愛がっていたのは48歳の父のほうだったように思います。
 父は子供っぽい所があったように思いますが、祖父は素晴らしい人格の持ち主だったと思います。しかし、祖父の教育信念に従い、私は正しく育つ事が出来たかと言うと、私には祖父の声は届いておらず、母や父の言う事ばかり聞いてしまっていました。
 祖父のように思慮深く強い人になりたいといつも考えていましたが、父のようにも生きられない私には、ましてや祖父のように生きることはとても出来ないでしょう。